シンガポールの秘境の地 Pulau Ubin (ウビン島)に行って来た
みなさんこんにちは、
今週は1週間学校がハーフタームのお休みでしたので、家族でちょこっとおでかけをしてきました。
行ったところは、シンガポールの最後の秘境と言われているウビン島。
シンガポール北東部のマレーシア国境近くに位置している島で、シンガポールからは小さなボートに10分ほど乗っていきます。

シンガポールは東京23区をひと回り大きくしたサイズの、とっても小さな国。
そこに570万人ほどの人が住んでいる訳で、元々は熱帯雨林のジャングルであった島ですが、ご想像通り今はほぼ全ての土地が都市に開発されてしまっています。
それでも自然好きの私たち。残されている自然を探して行ってきました。


たった10分程ですが、どこか遠くへホリデーに来たような気分にさせてくれたボートの旅。



晴れ上がった空と、風が気持ちよかったー。


島に着くと、昭和の駄菓子屋さんを思わせるような簡素な木造のお店が出迎えてくれ、あっという間に半世紀ほどタイムスリップしたような感覚になる、ノスタルジックな雰囲気たっぷりな島の入り口。

なんか、お店の写真撮り忘れてたみたいです、泣。
それから私たちはマウンテンバイクを借りてサイクリング。
最近は都心でもよく週末は4人でバイクライドに行くのが日課になっているのですが、
自然の中を走るウビン島でのバイクライドは格別でした。



カニさんも見つけたよ↑。
ウビン島(Pulau Ubin) とはマレー語で Granite Island (花崗岩の島) という意味で、1800年代後半から1999年に全ての採石場が閉鎖されるまで、シンガポールの開発に花崗岩の供給を盛んに行っていました。
最も産業が盛んだった1950年代から1970年代、島には2,000人ほどの人が住み学校が設立された時期もあったようなのでですが、2012年の時点で人口は38人まで減りほぼ無人島。
当時、海面から深さ40mまで掘り下げられたと言われるかつての採石場(Quarry)は、現在雨水が溜まり、美しい湖になっていました。

実は次男くんが足の爪を怪我していて調子がイマイチだったので、その日は1時間半ほどサイクリングをした後は、島の入り口まで戻り海を見ながら休憩して、またボートに乗って帰ったのですが、
シンガポールの中心から小一時間でこんな気軽に訪れることができるウビン島、
ぜひまたゆっくり遊びに来たい場所のひとつになりました。


それではまたね!
昭南島の影を追って:Former Ford Factory を訪ね日本人のメンタリティーを考える
みなさんこんにちは、
再びプチロックダウン令が発令されているシンガポールですが、今週から無事息子たちの学校も再開したので、先日 Upper Bukit Timah の山近くにひっそりと佇む Former Ford Factory にひとりで行ってきました。
息子たちの学校からすごく近かった。


Former Ford Factory って何のことですかと思われると思いますが、実はこの場所は1942年2月15日、当時シンガポールを支配していたイギリス軍が、マレー半島からシンガポールへと攻めてきた日本軍に無条件降伏のサインをした部屋が残されている、歴史的な瞬間が刻まれた建物なのです。


山下司令官イカツイですね。まさに降伏のサインをしている瞬間のビデオを撮影したのでアップしたかったけどやり方がよくわかりませんでした、泣。山下司令官、すごい剣幕でイギリス軍のアーサー司令官に迫っていました。
建物はその名の通り、もともと車メーカーのFord社の工場であったのですが、1941年に現在の場所に移転されてからまもなく、戦時中はイギリス軍の軍用車製造に利用されたり、翌年日本軍の支配下に移ると日本軍の Headquarter として、また日産により日本軍用車の製造にも使用されていました。戦後 Ford社に施設が返還されてから1980年に閉鎖となり、現在はシンガポールが日本軍の支配下であった時代の様子などを展示した施設となっています。

わたしはなぜこの施設に行ったのか!?
それは何を隠そう、シンガポールがかつて日本軍の支配下であった時代、昭南島であった時代が、現地の人々にとってどんな時代であったのかを知るため。
イギリスの支配下から日本の支配下に移るということが現地の人々にとって何を意味していたのだろうか。
結論は、想像通りではありましたが、ひとことで言うと悍ましい恐怖と不安の3年半でありました。
イギリス軍の降伏が報道された夜、これから起こりうる未知への恐怖に覆われたシンガポールは異様な静寂に包まれていたという証言があって印象に残りました。
突然の昭南島と地名の変更、日本語教育の導入や、西暦から年号システムへの変更がされたことなどはさることながら、中国系民族のほぼ無差別な人殺し、捕虜兵などの奴隷的利用、占拠後に逼迫していく日本の戦時状況による食料難など、終戦まで続いた日本軍の支配は、シンガポールの歴史上まさに最悪の時代であったのです。
特に目を引くのが The Sook Ching Operation と呼ばれる中国系民の大量虐殺。

抗日分子の処分を名目に実施されていましたが、実際は選別方法も一定ではなくほぼ無差別の虐殺でした。
スクリーニングセンターに呼び出された華僑たちは、憲兵隊により尋問を受け10人ほどずつトラックに乗せられて虐殺場へと連れて行かれていたのです。
その上、この銃殺の様子はとりわけ周囲に隠されることもなく、現場近くの住民は遺体の処理もさせられていたという事です。
見せ付けですね。なんて恐ろしい世界。
1945年、終戦とともに昭南島はイギリス軍に再び返還されるのですが、これは市民にとってどれだけ安堵の瞬間だっただったことでしょう。
日本軍降伏セレモニーの日、「馬鹿やろー」と罵る大衆の姿を前へと肩を落として会場から出てくる日本軍の姿の映像を見た時は、日本人として正直情けなかったし、居た堪れなかった。

日本はなんでこんなことをができたのだろう。
もちろん戦争という異常な状況下では全ての人のマインドは歪んでコントロールされた状態にある。なので個人を責めることは間違っている。
しかし、日本国として、政府として、軍として、組織として、支配した土地だから無罪の一般市民を大量虐殺しても構わないというメンタリティーが存在していたという事実。
言い換えれば、社会的立場の上の者は、社会的立場の劣る者の人権を奪っても構わないというメンタリティー。
そしてこのメンタリティーは少なくとも今でも我々日本人の中に潜在的に残っていると私は思っている。もちろん人殺しをして良いと思っている人はいないと思うけど人権とはそれだけではないので。
過労の問題や、難民不当扱いの問題などはその一例であると思う。
なので、今の私にできることは、トップダウンのメンタリティーを完全に自分から取り除く努力をすること、そして子供たちにも社会的弱者の人権を軽んじることは大きな間違いであるということを教えていくことであると考えたのでありました。
それではまたね!
シンガポールおすすめ公園めぐり: 子供が喜ぶ無料プレイエリア
みなさんこんにちは、
シンガポールに家族で引っ越してきて4ヶ月がたちますが、あんまり観光スポットに興味がもてない私たちは、マリーナベイサンズやマーライオンには行こうとした試しがない代わりに、週末になると子供たちが裸足で走り回れる緑あふれる公共公園巡りに励んでいます。

そこで気づいたのが、シンガポールには子供たちが大興奮する斬新な遊具が充実している入場料無料の素敵な公共公園がすごく沢山あるということ。
有名なところでいうとボタニカルガーデン内にある Jacob Ballas Children’s Garden というプレイエリアや、

フォートカニングパーク内にある Jubilee Park など、


熱帯気候ならではのトロピカル植物と巧みに融合したダイナミックな遊具があり、まるでジャングルに遊びに来たかのような気持ちなれる場所とか、
さわやかな海風にあたりながらサイクリングやピクニックができ、かつ、かっこいい遊具が充実してる East Coast Park や北海岸にある Pasir Ris Park など、



無料で素敵な公園がいっぱいあります。
ふと考えると、シンガポールでは、8歳と5歳の男の子を週末楽しませるのに思ったほどお金がかかっていない。

ドバイでは子供たち楽しませるのなにかと出費していた。
もちろん公共の公園もあったけれど、それも完全に無料ではなかったし、その上その他の商業的な公園やテーマパークなどがキラキラと目立ちすぎるからどうしてもそっちに行ってしまい、公共の公園にお出かけするなんてことはあまりなかった。
イギリスでは週末はよくファームやカントリーパークみたいなところに出かけていたけれど、それだってどこでもまぁまぁの額の入場料は払っていたし、
そう考えると子供の遊び場という点に関してはシンガポールはすごく税金を寛容に使っていて力を入れているように感じます。ありがたいことです。
そしてシンガポールという国、小さいとは聞いていたけれど思った以上にコンパクト。
国土としては、東京都23区を合わせた部分 (約628㎢) よりも一回り大きい728㎢。
それってどれくらいかというと、国土の中心から端っこまで車で行けば20~30分程度で着いちゃうという距離感なんですね。
しかしシンガポールは車が日本の3倍と言われるほど高額で、一般庶民は車を所有するというよりは、便利で充実した公共交通機関を使いこなすか、もしくはタクシーや安価な Grab という Über のようなサービスを使って移動するのが一般的。
私たちも週末は大抵 Grab で移動するのですが、シンガポール国土の中心付近に住んでいる私たちは、本当にどこでも20~30分、片道1000円ちょっと以内で行けちゃうんです。交通渋滞とかもほとんどないので快適です。
なので毎週末のように素敵な公園を探してはあちこち出掛けているのですが、
シンガポールは、お手軽にそして安価に子供たちを楽しませることができる場所であることは間違いなさそうで、
これからもナイスな公共公園めぐりを楽しみたいと思います。
それではまたね!
シンガポールでコンドミニアムにお引越し:家探しと家賃交渉ー日本人はファーストクラスクライアント!?
みなさんこんにちは!
シンガポールに引っ越してきてあっという間に4ヶ月が経ちました。
ドバイからシンガポールに引っ越して来て4ヶ月も経つなんて信じられない。
初めの2週間はホテル隔離。そしてそのあと1ヶ月は会社が用意したサービスアパートメントに仮住まい。
そして、その1ヶ月間で定住する新居を自分たちで探して今住んでいるコンドミニアムに引っ越した訳ですが、
今、やっと落ち着いたという感じです。

シンガポールには、HDB (Housing & Development Board) アパートメントという公営団地が至る所に立ち並んでいて、人口のおよそ8割がこのHDBに住んでいる。

そして残りの1.5割くらいが通称コンドミニアムと呼ばれる、プールやジムなどの施設やサービスが充実した、ちょっと高級な大型集合住宅に住んでいます。


シンガポールは、人口の4割程度を移民が占めるという、エクスパットの多い国のひとつですが、日本や欧米からのエクスパットはだいたいコンドミニアムに住むのが通常で、
私たちの住んでいるコンドミニアムにもシンガポール人はもちろん、日本人エクスパットも含め、世界各国から来た人々が住んでいるといます。
今回家を探す時、今まで海外でやっていたようにように、
物件検索サイト (PropertyGuruなど) へ行き、気になる物件があったらローカルのエージェントに直接電話をかけて内見のアポを取り見に行くということを何件かしたのですが、
そんな時、頭によぎったのが、日系エージェンシーの存在。
シンガポールって、もしかして親切な日系サービスの恩恵を受けられるかも知れないと。
でも、10年以上海外に住んでると実際「日系なんちゃら」にお世話になるのってけっこう緊張もの。
日本の常識を忘れてしまってるんじゃないかという不安やら、旦那さんが外国人の場合日系のサービス利用していいのかしらとか、もしやめっちゃ高額?とか。
日本が雲の上の存在になっていくのは長期海外在住日本人のあるあるなんですが、
そんな多少の不安を抱えながらも勇気を出して日系エージェンシー2件に問い合わせフォームから連絡をしてみたら、数分後、早速1件から電話をかけていただきました。
そしたらさすが日系、要領よく希望を聞いて、希望通りの物件リストを2時間後には送っていただき、その週末にはそのリストの物件を一気に全部見れることに!しかも車の送迎付き!
その上、家賃3,500ドル(約28万円) 以上だと仲介料無し!
なんて素晴らしいサービスなんでしょう。私たちVIPみたい。
これ日本では普通でしたっけ?
軽く逆カルチャーショックでした。
そして結局12件くらい内見をし、1週間後にはやっとオファーを出したい物件を見つけることができたのですが、
これからが勝負です。
どこの国でもそうですが、家を借りる時、日本人であることはかなりのアドバンテージとなります。
イギリスでも日本人は First Class Client として位置づけられていて、つまり大家さんはテナントが日本人であると嬉しいということ。
それはなぜかって、ご想像通り、部屋を綺麗に使ってくれるとか、家賃を遅れず支払うとか、色々面倒な要望をあまり言ってこないとか、そういう問題が少ないという点でかなりの高評価を得ているのですが、
なので今回も何件も内覧したけど、
Are you Japanese? It’s the best!
とか何回も言われましたね。
(ま、私の家族の場合は半分ジャパニーズではないんですが、内見してたのはほぼ私のみだったので笑)
そこでですね、もし海外で家を借りることが今後あるのであれば、この点を逆手にとって、ぜひ家賃交渉をしてみてください。
イギリスでもドバイでもシンガポールでもそうでしたが、不動産屋の広告に載っている家賃は Asking price と呼ばれ、要は希望価格のこと。
つまり大家さんは希望が叶わないことを絶対に想定してるわけです。
私たちの場合、オファーを出したい物件は Asking Price 4,000ドル(約32万円)で出ていたので、200か300ドルは値引きしたかった。なのでまず最初に希望価格から400ドル低い、3,600ドルでオファーを出すところからスタートしたのです。
そして不動産屋を介した2日間の交渉期間を経て、無事私たちの希望価格3,750ドルでめでたく契約成立。
この2日間の駆け引きは面倒臭いかも知れませんが、日本人であるというだけで交渉の優位に立てる可能性は充分にあるので絶対にやってみてくださいね!
それにしても、海外に住んでいると日本人の世界での評判には感謝しかないです。
なにかと日本人であるだけでことがスムーズに運ぶことが多い。
どの国民にもそれぞれキャラクターがあって、長所も短所もあるけれど、
海外に暮らす日本人として、これまで先輩方が世界に向けて築いてきた良い評価、期待を裏切らないような振る舞いをしていきたいと再確認した今日この頃でした。
それでは皆さんお元気で、
またね!
シンガポールのコロナ事情ー with コロナの世界から zero コロナの世界へー
みんなさんこんにちは!
世界が一変して早1年半 (泣)、コロナがこんなに長引くとは全く誰も予想していなかったはずですが、今やコロナなしにはその地や国を語れないと言ってもいいくらいコロナ事情、みんなの頭の片隅に居座っていますよね。
こんな状況はいつまで続くんだろう。
私はイギリスからドバイに引っ越して数ヶ月というときにコロナが発生し、次から次へと逆さまになっていく世界の様子をニュースで見ていたのも束の間、瞬く間にドバイも真っ逆さまになっていったのですが、
新しい地に来てばかりだったこともあり、イギリスの状況も、もちろん、日本の状況も気になるし、ドバイはどうなるか、ギリシャは大丈夫かとか、当時は本当に世界各国のコロナ関連ニュースを読みまくっていました。
そして今シンガポールへ。
結論を言えば、上記に羅列したどの国と比較しても、シンガポールがダントツ安全。
ドバイは途中までかなり厳しく規制をかけてウィルスを取り締まっていましたが、今年になって政策を一転し、
国境は開けっ放し、観光客入れまくり、ワクチン見切り発車で、ヨーロッパよりも早くwith コロナの世界を確立させていました。
with コロナの世界を確立したということはつまり、自分たちの周りで陽性者が出ることは日常茶飯事だったわけで、本当に日常茶飯事でした、笑。
子供たちの学校の先生たちが何人もかかり、学級閉鎖ももちろんあったし、旦那の20人くらいのオフィスでは結局4人陽性者出てるし、チビのクラスの毎週公園で遊んでた子のパパとママとか、
本当にそこら中で陽性者出てました。
自分たちがかからなかったのはかなりラッキーだった。(というか無症状でかかっていた可能性は十分にあるが。)
この時は人に会うのも心配で、公園で子供たち遊ばせる時も親はダブルマスクとかして、知人とお茶なんてしてしまったら2週間不安だし、旦那は何度もオフィスで濃厚接触者になったため自宅の小部屋で何度も隔離を余儀なくされたり、
何をするにも心配ばかり。
ただ、マスク義務はありましたがその他の規制はほとんど解除されてましたね。
これが with コロナの世界。
一方でシンガポールは正反対の zero コロナの世界。
今でこそ1日の陽性確認数が60人くらいで多いのですが、少ない時は1日ゼロももちろん、2人とかそんな感じが続いていた。
だから、コンドミニアムのプールで人に会ってマスクなしで会話したって全く気にならなくなったし、
子供たちが近所でいろんな友達とランダムに遊んでても、買い物に行って人出が多少多くても、日常的にコロナを心配することはほとんどなくなった。
これは日々を送る上で本当にありがたいこと。安心です。
しかーーーし!
このような状況を作るにはやっぱり犠牲にしてるものもたくさんあるんですね。
それは自由/権利です。
単純に、自由が奪われてると言っても、マスク義務くらいは私としてはなんてことないんですが、
なんとシンガポールに来て子供達の学校が決まって数週間、やっと学校が楽しくなってきた頃、
突然1日の陽性確認数20人程度で全ての学校が閉まってしまった、泣。
思わず校長先生に抗議してしまったくらい。
with コロナでは、ドバイ (UAE) で毎日2000人以上確認されてても学校が閉まることはなかったのに、シンガポールではたった20人で子供たち学校に行けないの???とかなり絶望的になりました。
それから、厳しいボーダーコントロール。

私たちもドバイからシンガポールに入国した時、もちろん2週間ホテル隔離やりましたが、辛かった。
窓開かなかったから外の空気全く吸えなかったし、運動も出来ず、精神的にも身体的にも不健康、もう余程のことがない限り絶対にやりたくないです。
つまり、この厳しい2週間ホテル隔離がある以上、実質私たちはシンガポールから出ることができないのです。
with コロナと zero コロナ。
これはほんとどっちがいいのかわからないですね。難しい。
もしシンガポールに自分の家族や友達が全員いたらそれが一番いいのかなぁ。妄想。
でもシンガポールも外国人エクスパットの多い国。
もう2年近く厳しいボーダーコントロールを行っていて、自国の家族に会いに帰れないエクスパットたちはそろそろ我慢の限界に達しつつある状況です。このまま zero コロナ政策を続ければこの国は多くの外国人エクスパットを失うことになるでのでしょう。
私たちはパンデミックの中、政策の全く違う国の間を移動することになった訳ですが、
感想はただ一つ、
どこにいてもコロナで悩まされる点については一緒なのね、ということです。
現在各国でワクチンが進み、元の世界を取り戻そうとみんな一生懸命な訳ですが、いつになったらコロナがみんなの頭の片隅から全く消える日が来るのでしょうか。
なかなか先が見えず、途方に暮れてしまいますが、
世界のかわいい子供たちのために、平穏んで明るい未来を切に願うばかりですね。
皆さんも健康に気をつけて下さい。
それではまたね〜
ドバイからシンガポールへ: コロナの波に流されて
みなさんこんにちは!
3ヶ月前にドバイからシンガポールに引っ越してきました。

ドバイには結局1年半くらいだったなぁ。
短かった。
もう少しいたかったような、もうこれで十分だったような。
でも、いずれは離れる地、と分かりきっていた場所だったので、タイミングが思ったより早く来ただけですね。
理由は言わずと知れた、旦那の仕事の都合、ですが、ちょっと掘り下げるとコロナの余波でもある。
というのは、旦那のドバイの会社の元CEOがコロナ騒ぎが始まった2020年最初のロックダウン中の会社のリストラクチャーにより、オーナーに突然首を切られたのです。
これは完全に先行きが不透明なコロナ禍での経費削減対策ですね。
(この時期は恐ろしいことに本当にめちゃめちゃ人が切られていたなぁ。)
旦那がドバイで働いていた会社とは、船舶/海運業界の会社で、ニューヨークやトロント、コペンハーゲン、シンガポールなど、全世界に支店があるグローバル (?) な会社ではあるのだけど、オーナーがエジプト人。
そして特にドバイ支店に関して言えば、隣国インドからのエクスパットたちにより運営の大部分が行われていて、ビジネスのクオリティーの水準が低かった。
それを改善するため設立されていたチームが、その元CEO率いるヨーロッパ勢であり、旦那もそのうちのひとりだったのです。
しかしその元CEO (デンマーク人でした) がオーナーの決断で突然解雇。
そうなるや否や、彼についてきたヨーロッパ勢は突然大きな軸を失い、対立関係にあった周りのインド勢にパワーを奪われていき、フラストレーションがたまるとともに急速にモチベーションも失っていきました。
これ、完全に社内のポリティックですね。
このドラマは側から見ていても痛々しかったです。
イギリスにいた時は気づかなかったけど、やっぱりヨーロッパと中東アジアではビジネスのやり方が全く違う。特にインド人のビジネスへのアプローチは癖があって、グローバル視点では社内的にも対外的にも彼らとビジネスを行うのを苦手とする人たちが結構いるのです。
そして、CEO解雇から半年後、思うようにことが進まない状況にしびれを切らした旦那の直属のマネージャーがついにシンガポールの別会社に転職。
そしてさらに半年後、旦那がその直属のマネージャーのチーム編成の一員として呼ばれるという結果となった訳です。
この道のりも長かったなぁ。
転職がそこまで盛んではない日本では稀なことかもしれないけど、欧米では業界内で会社をまたいでチームで動くということはよくある。
今回はまさにそれだったけど、このパンデミックの中で海外転職できたのは奇跡的だったと言ってもいいくらいおぼつかない道でした。
ドバイの生活は、短かったけど激動で楽しくもあった。
2019年10月にイギリスから引っ越してきて、落ち着いたと思ったら半年もたたずにロックダウン、そして上記のストーリーが始まるは、学校は閉まるは、落ち着くことは全くなかったですね。
それでも、子供たちは元気いっぱい毎日を過ごし、家族で砂漠へ行ったり、キャンプしたり、ドバイホテルリゾートなんかにも何回か行けたし、友達もできたし、少ないながら貴重な思い出ができました。
特に子供たちと同じ学校だった日本人駐在員家族のママ友たち。みんな、異国の地でいきなり世界が逆さまになり、動揺する中、みんなで励まし合い、時には楽しい思い出を作りながら乗り切れたことには感謝ですね。
写真は、最後にもらった思い出の写真コラージュ。
ありがとう。そしてさようならドバイ !
それではまたね!
ドバイ Al Qudra Lake 砂漠のど真ん中 StarTracker App で肉眼天体観測
みなさんこんにちは。
あっという間に10月ももう終わり。先週は子供たちハーフターム休暇で学校がお休みでした!
UKカリキュラムの学校では、各3タームの真ん中にそれぞれ1週間のお休みがあり、これをハーフターム休暇と呼んでいます。
3月初旬から夏休みに入るまでの長い間リモートに切り替えられていた学校も、9月になんとか再開することができ、不安な中、感染対策をしながら新しい様式の学校生活を送り無事ハーフタームまでこれたのは、少し感慨深いです。
私としては、めまぐるしく前だけ見て日々を送っていた以前とは異なり、毎日を一歩一歩慎重に進んでいくのが精一杯になってしまいました。
でも、そんなコロナ禍であっても少しは楽しいことを〜
ということで行ってきました!
Al Qudra Lake (アル クードラ レイク)
ここ数ヶ月子供たちがハマっていることがあって、それが『惑星』。
4歳のチビちゃんも太陽系の惑星の名前は太陽に近い順から全部8個言えるし、
それぞれの特徴をよく知っている。
興味の発端は、教育系テレビ番組やYouTubeビデオですが、子供って一度好きになるとくらいつき方がすごいですね。図鑑を2冊並べてふたりで並んで読んでました。
ちなみにふたりの好きな惑星は『木星(Jupiter)』。理由は単純で、一番大きいからなんですが。
さて、そんなふたりの興味を無駄にしないようにということで、ドバイの天体好きがよく行くと言われている アル クードラ レイクに天体観測へ!
ドバイは、雲ひとつない天候と澄んだ空気を利用して、星好きの天体観測アクティビティが盛んな場所でもあります。
中心部から内陸側へ車で45分程、
Al Marmoom Desert Conservation Reserve の一部で、
現在では多数の植物、数百羽のフラミンゴ、300種以上の鳥たちや、ガゼルなどの野生動物が生育している“自然” でありますが、元々は8年ほど前砂漠のど真ん中に人工で作られた湖。

元は人工といえども、自然の恋しい私たちには打ってつけの場所でした。


日没前の5時過ぎにに到着し、未だに四駆を持っていない私たちはかなり恐る恐る砂道を走る。
余談ではありますが、ドバイは都市部をパジェロのような巨大オフロードカー(SUV) がスタンダードと言っていいくらいいっぱい走っています。
はじめはなぜ?と思っていたのだけど、ビーチも含めこのような場所来ると、砂の道を走らなければいけないことが多々ある。
そんな時、私たちのようなミニカー族はかなり恐怖。
実際何度か砂にハマり、通りがかりのパジェロ様に引っ張ってもらったこともあります。
無事お目当ての湖まで到着し、
まずは湖の周りをお散歩。


アヒルや白鳥 (黒鳥もいっぱいいた!) たちに餌をあげ、

砂山を駆け上がり、

一通り走り回った後は、暗くなるのを待ちました。

そしてだんだん暗くなってきた!
夕焼けもきれいでしたが見えてきた星空はこの上なく素敵でした。
なんせ砂漠のど真ん中ですので360度地平線。
思わずプラネタリウムみたいーと叫んでしまいました。
高性能カメラがなくて、星空の写真はないですが、カシオペア座、さそり座などはもちろん、肉眼でM8星雲なども見れるくらい空が澄んでいてロマンチックでした。
子供たちはお目当ての木星(Jupiter)、火星(Mars)、土星(Saturn)などを確認することができ大興奮。
これらの惑星は都会からでもみられるほど明るいですが、満点の星空の中で見つけられたのは格別だったようです。
ちなみに天体観測なんて大げさに書きましたが、実際はスマートフォンに Star Tracker という無料のアプリをダウンロードし、そのアプリを開いて空にかざすと、見えている星が何という名前の星か教えてくれるという、とっても便利なツールを使ったお手軽天体観測したとさ。
それでも見えている星や星座の名前が分かるのはとてもロマンチックである上、とても勉強になりましたよ。
ぜひお試しあーれ!
それではまたね〜